換情奪見

《嘘熟語》他人の情報の語句や構想をうまく利用し、その着想・形式をまねながら、自分の作としても(独自の)価値があるものに作ること

「リア充なのにオタク」ってなんだ・・・

toyokeizai.net

 

この記事を見る限り、「オタク」は鬱屈の象徴では無くなったようだ。

 

そもそもオタクだから「コミュニケーション不能」ではなくて、「コミュニケーション不能」だからオタクになっていた。また、オタク=アニメファンでも無かった。

しかし、かなり初期(1970年代『宇宙戦艦ヤマト』ぐらい)の頃からオタクの鬱屈とアニメというメディアがリンクしていた事が、現在までに至るオタク=アニメファンの構図を作り上げた。

松本零士宮崎駿のインタビューを見ると、彼等もオタクのイメージそのままだし、彼等もまた社会や世間に対して鬱屈を抱えていた。この系譜を引き継いだのが『新世紀エヴァンゲリオン』を描いた庵野秀明である。

宮崎駿監督が語る『天空の城ラピュタ』誕生秘話 - YouTube

今回記事で取り上げた「リア充なのにオタク」の”コレクション”にはこうした鬱屈したアニメが見当たらない。また、不思議な事に「自分がアニメを見だした頃」から過去のアニメに遡ってファンであるという形跡が見当たらない。

若者に鬱屈が無くなったのだろうか。今のアニメが鬱屈した人々の層を捉えなくなったことは確かかもしれない。アニメ批評という語を2010年代に入って聞かなくなった事も関連しているかもしれない。